宮古島レポート2009年8月24日(月)
宮古島出発の日。先に宮古島に来ていた妻と次女に丸々1ヶ月遅れで、長女と愛犬1匹を連れて、宮古島に渡ることになった。我々の付き添いで義母も同行してくれた。きっかけは妻が南の暖かいところで生活をしてみたいということだった。一宮の自宅より犬山の義理の両親の車でセントレアに送ってもらった。セントレアで高校のラグビー部の同級生磯村(通称;シシ)が見送りに来てくれた。11:55発の日航機で那覇には14:05着、那覇15:10発宮古島着15:55の予定で、余裕で那覇で昼ご飯を食べられると期待した。しかし、那覇空港上空の天候が悪く、1時間は上空で旋回し、到着が遅れてしまった。結局、宮古島への飛行機は15:50発で那覇出発で、宮古島に到着し、荷物の受け取りなどをしていたら、17時を回っていた。


2009年8月25日(火)
我々の宮古島の新居を紹介しよう。6月の中旬、宮古島での生活の拠点探しに、妻と義母で物件を探し出し、契約した。築40年の1軒屋で、1階部分を借りている。もちろん、畳や内壁は新調されているが、思ったよりきれいで、古さを感じさせない。子供部屋が2間と両親の部屋、キッチンと居間、洗濯機が置かれているタイル張りの洗い場兼浴室、風水を考えて、トイレは離れ、少々段差が多い作りとなっている。とりあえずは2年の契約。2階は宮古島の一流ホテル、東急リゾートの厨房に勤める男性が愛犬と住んでいる。
ちなみに、写真の左に写っているワンボックスの軽自動車は我が家の愛車である。


2009年9月1日(火)
2人の娘の初めての登校日。宮古島市立南小学校のホームページの学校行事9月「3人の新しいお友達」の画像に娘2人が写っている。
始業式の日に関わらず、初日なのに給食があった。あれだけ今伊勢西小の友達と離れるのが嫌で、最後まで不満たらたらだった長女も二人の友達を連れて、家の中で飼っている愛犬のモモちゃんを見せていた。
2009年9月3日(木)
大学卒業後に2年間暮らした北海道と沖縄は日本の南北なのに、ある共通点がある。北海道は本州、九州、四国をひっくるめて、内地と言い、沖縄も本土のことを内地と呼ぶ。
沖縄では、内地の人のことをナイチャーという。ただし、
沖縄の人(ウチナーンチュ)から見れば、北海道も内地に含まれるとのこと。ただ、ウチナーンチュから見て、北海道に梅雨がないことを知っている人はどれくらいいるだろうか?沖縄も1日から娘たちの新しい学校、南小学校に通い始めたが、3日は休日となった。理由は旧盆の末日だから。
沖縄はお盆の行事を旧暦で行う。今年は9月1〜3日となった。8月下旬の新聞に入ってくるスーパーのちらしは「旧盆準備特集」と題して、お総菜やお供え物、オードブルなどを宣伝していた。1日はウンケー(お迎え)、3日はウークイ(お送り)という。ご先祖さまの霊を1日にお迎えし、3日にお送りするわけだが、人々は仏壇の前に料理や果物などのお供え物をし、1日はご先祖様を仏壇にお迎えし、3日にはご先祖様を仏壇から送り出すという。
沖縄も中国、韓国同様に旧暦で行事を行うとは今まで知らなかった。2009年9月14日(月)
この日から18日まで宮古島地域雇用創造協議会主催の
IT就職基礎研修を受講した。13人の受講生の内訳は、見たところ、50代の女性が2名、私を含めて40代が男女3名、残り8名が20代であった。ここはクーラー完備で、3週間前に宮古島に来た私はIT企業に就職するという大胆な動機ではなく、
知り合いを作るという軽い気持ちで申し込んだ。と同時に、まだまだ社会のお役に立ちたいという気持ちがあり、何かを身につけたいのも正直な気持ちだった。送り迎えは家族にお願いした。講師は福岡市在住の女性だが、話をしていて、実は以前尾西市(現一宮市)に住んでいたことがあり、尾西一中、尾西高校に通っていて、驚いたことに、共通の知り合いがいた。彼女の中学の同級生O君が、私の高校時代のラグビー部の2年後輩だったのである。
はるばる宮古島でこんな出会いがあるとはただただびっくりした。
2009年9月20日(日)
この日は
娘二人が通う宮古島市立南小学校の運動会の日であった。18日に犬山に戻る予定だった義母も周りの人から「孫の運動会を見にわざわざ那覇から駆けつける祖父母もいるのに・・・」とか説得され、運動会終了後に帰ることにした(結局、義母は25日に犬山に戻った)。1年生の次女はかけっこと玉入れ、5年生の長女は徒手体操とリレーだった。お昼は残暑の厳しい炎天下ながら、場所取りで確保した木の下にシートを広げて、義母がこしらえてくれた弁当を広げて、家族5人で食べた。私は今伊勢西小学校でも見たことはなく、運動会は南小のが初めてだったが、昼食中、妻がいうには、今伊勢西小学校よりもそれぞれが無駄口を話さず、静かだと驚いていた。こういう運動会の場では、もっと「わいわいがやがや」と騒がしいのが普通だと思ったので、確かに静かだなあと思った。中学校の運動会も9月に行われるところが多いとのことだった。最後は沖縄の伝統行事の一つ、はちまきを巻いて、赤い太鼓を鳴らしながら、力強く踊るエイサーを6年生が演じていた。
お盆を家族と楽しんだご先祖さまも別れが惜しいからといつまでも下界にいると、あの世が空っぽになって、先祖霊だらけになってしまう。そこで、あの世に帰りたがらくなくなった魂を太鼓をたたいて脅しながら送ったのがエイサーの起源の一つと言われている。最近では、このエイサーも旧盆に関係なく行われているとのことである。私の母校、一宮市立今伊勢中学校は中学3年の時、記憶では、確か秋風の漂う頃、平日の9月28日に開かれ、運動会ではなく、体育祭の名前だったと思う。ここ宮古島の中学校では父兄が来られるように、運動会という名で、週末に開かれるとのことである。テレビ朝日の「なるほど珍百景」でも紹介されていたが、ここ宮古島では4つの高校の受験でも父兄が弁当をこしらえ、受験生を囲んで屋外で食事をするそうである。この日も午後も依然蒸し暑く、自宅に帰ってから、扇風機では物足りないので、クーラーを付けた次第である。



2009年9月21日(月)
長寿県沖縄。うちで購読している宮古新報の1面に、県と宮古島市は「敬老の日」のこの日新百歳長寿者に対する慶祝訪問を行った。内閣総理大臣からの銀杯を伝達し、県からは祝状と記念品、市からは祝い金と記念品が贈られ、新百歳21名の内、3名のお宅を訪問し、写真と記事が載っていた。また、百歳以上が41名で最高齢が105 歳とのことである。宮古島の人口が5万5千人なので、ご長寿な人が多いのはこの数字からも分かる。沖縄が長寿の多い県だというのがかいま見えた。
本来自分の言葉ではないのに、いつの間にか使っているようなことがある。例えば、「オバァ」である。昔、NHKの朝の連続テレビ小説で沖縄を舞台にした「ちゅらさん」がやっていたが(長女がなぜかこの「ちゅらさん」が好きで、ビデオをよく借りる)、そこに出ていた沖縄出身の女優平良とみが主人公エリ(国仲涼子)の祖母役で出演し、「オバァ」と呼ばれていた。内地では、年輩の女性を「おばあさん」と呼ぶのが一般的だが、沖縄では「オバァ」と呼ぶのが当たり前となっている。呼び捨てにしているようで、なんだか気が引けるような感じがするのだが、逆に「おばあさん」と呼んでしまうと他人行儀になってしまう。沖縄の「オバァ」と言う言葉にはかわいくもあり、また尊敬の対象の意味が込められている。同様に、「おじいさん」のことも「オジィ」と呼ぶのである。沖縄の「オバァ」の平均年齢は85歳を超える水準。しかも、ただ長生きをしているわけではない。生涯現役のオバァたちは生命力に満ちあふれ、バリバリと働き、快活に笑い、実にたくましい。
2009年9月26日(土)
9月の週末の運動会の振り替えに、宮古島の大部分の小中学校はシルバー・ウィークの連休プラス木曜日・金曜日も休みとなり、1週間の長い秋休みとなった。次女が馬に乗りたいというので、乗馬をさせてくれるという荷川取(にかどり)牧場に行った。先に来たお客さんを乗馬で案内しているのだろうと、誰もいなくて、途方に暮れていた。すると、地面と床が10センチくらいの隙間がある一つの建物の下から、ずんぐりした1匹、2匹、3匹、4匹、5匹と順番に生まれたばかりの子犬が出て来るではないか?
あまりにかわいかったので、デジカメに収めた。
元気だね!
今日もそちらは青空かな。
一宮は今にも振り出しそうな雲行きだよ。
ではまた。
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